旧三原市全景

『三原市史』を読む会

チラシ250621 チラシ250517   『三原市史』を読む会を2025年春は3回開きました。「三原の歴史と現在」の4回め「『虎に翼』原爆裁判の弁護士のモデル松井康浩は佐木島出身」(4月19日)、5回め「第三代図書館長・藤原覚一の戦後史」(5月17日)、6回め「三原女子師範学校と平田のぶ」(6月21日)。
 6回めのチラシは、妙正寺上(など)からの4画像と、その中間に女子師範学校の校舎全景を下地にしたもので、左の小画像をクリックしたら(タップしたら)、拡大して見られます。右上の小画像は5回めのチラシのそれです。続き物のようですが、一回切りで話します。だれでも参加無料です。

 秋の風が吹いたら、また開くつもりでしたが、パソコンのデータを消失する大失敗をしました。三原へ行く前にはハードディスク(SSD)のクローンを作成して運んでいますが、うっかり逆向きにクローンしてしまいました。何とか2か月前の時点まで復旧しましたが、7月分8月分のデータ喪失からまだ立ち直れません。
 去る6月29日に、みはらウィメンズネットワーク講演会で「三原女子師範学校に平塚らいてうが来た―「私は私の主人になりたい」(篠木のぶ)」という話をしたのは、6回めの話と重なるのですが、そこに立ち返って考え直しています。平塚らいてうを三原に呼んだ篠木のぶ改め平田のぶは、三原からこんな人が出たのかと驚くような生涯を送りました。冬が来るまえに、その続きの話をしたいと思います。

 この『三原市史』を読む会を開くに至った経緯を記します。
 三原市本町の築150年余りの旧清水歯科医院の建物を改修した古民家しみずで、清水靖久は、2021年3月末に民泊とカフェを開きましたが、2023年2月に身体を壊してから民泊を休んでいます。療養している間に『三原市史』を読み、歩くことは歩けるうちに、三原の歴史と現在を語りあう会を開きたいと考えました。
『三原市史』全7巻  『三原市史』全7巻は、長い中断の後2006-07年に完結した偉業であり、だれもがこの労作を読むとよいのですが、なかなか読めないし、読まなくてかまいません。三原で生まれ育った清水が外から見た学者の目で『三原市史』を読んで論じますので、それをもとに問答し、一人一人が見聞きした歴史の経験を語りあいたいと思います。

チラシ240518  そのような思いから、『三原市史』を読む会は、2024年4月20日午後2時から、さらに5月18日午後5時すぎから再び、三原市立中央図書館3階の多目的室でこれを開きました。初回は50席に入りきれない参加者があり、2回めも夕方なのに20数人の参加者があって、「原っぱが三つあったまち?」について清水が60分話したあと、三原の歴史と現在について語りあいました。
 2回めのチラシをここに掲げます。左の小画像をクリックしたら(タップしたら)、拡大して見られます。1802年の絵図と1903年の写真、1971年頃の写真と2021年の写真は、どれも妙正寺上から(1903年は桜山から)見たものですが、三原城跡周辺や瀬戸内海の眺めが全く異なります。

 この会をもう一回開きたかったのですが、2024年6月の第三土曜日は予約がとれず、やがて猛暑の夏になりました。図書館で予約するのが難しいなら、古民家しみずで開いたらどうか、参加者が入りきるだろうか、など考えました。
チラシ241019  秋の風が吹いて、2024年10月19日(土)午後3時から古民家しみずで3回めを開きました。福岡から三原まで一人で運転してふらふらになり、狭い家で開くのはくたびれました。3回めのチラシは、右の小画像をクリック(タップ)したら、拡大して見られます。
 2025年春の4回めは三原ペアシティ西館(サンシープラザ)3階の市民大学5-6教室で、5回め6回めはペアシティ西館4階の第三研修室で開きました。

 当初この会では、三原の歴史と現在について十回くらい同じ参加者と話したいと思って、下のような目次を考えました。この案の通りに進めるわけではありません。
三原の歴史と現在 1~10
1)城跡と汽車(20世紀)
2)瀬戸の海の進退(先史~16世紀)
3)三原城と東西両町(16~19世紀半)
4)富国強兵と鉄道(19世紀後半~)
5)空襲寸前の非戦災都市(1945年前後)
6)工都の経済成長(1930-60年代)
7)煤煙と教育熱(1960-70年代)
8)交通拠点の夢(1980-90年代)
9)工都からどこへ(21世紀)
10)原っぱが三つあったまち(まとめ)